私好みの「家 畜 人」

K・郁子 

 

私達は、身近な家畜として、犬や猫を飼っておりますが、家の中でこれらの家畜を飼っているからといって、私達は、犬や猫に対して羞恥心をもちません。

例えば、愛人や恋人とベッドの上で戯れているところを他の人に見られたら当然恥ずかしい気持ちを持つものですが、犬や猫が見ていても、私達は少しも恥ずかしいという気持ちを起こしません。

サジスチンの女性にとって、家畜人である奴隷は、犬や猫と同じ飼育している家畜でありますから彼等の前でどんな痴態を演じたとしても、気にしないどころか、その存在すら意にも介しないというのが私達の主張です。

奴隷である「家畜人」は、概して室内で飼うことが多いのですが、それは私達の飼育者の便利のためであって、決して家畜人を室外で飼うのを気の毒だななどと思っているのではありません。長期間、自分の用に使用しなかったり、私達が外出したりするときは、勿論戸外の犬小屋なり、馬小屋等に繋いでおくわけです。また、訓練のために鞭を用いるときは、犬小屋の置いてある庭を利用することが多いのです。

犬や馬を訓練し調教するのと同じように、有能な家畜人は一に用意周到な訓練と厳格な調教とによって、養成されるものですから、私達は暇があって手持ち無沙汰等のときは気の向くままに鞭を片手に調教場へ向かいます

掌に快く密着する握りの具合のよい鞭を素振りする際の気持ちは本当に爽快そのものです。

時には、気分直しに思いつきのまま、家畜人を鞭打つこともありますが、殆どの場合、命じたことを誤ったり、動作が鈍かったりしたときに懲罰の意味で揮うことが多いのです。

部屋の中で家畜人を使用するときは、首輪、鼻輪を嵌め、その上、睾丸の根元に環を付けて、それに手綱を連結させておきます。大体家畜人というのは、使用主である女ご主人には従順なものですが、野性返りすることもありますので、私達の監視の十分行き届くとき以外は繋留しておくのです。

私達は、今まで十数匹の家畜人を飼ったことがありますが、中でも、若いのと年いった二匹の家畜人を養成したのが一番気に入りました。掃除から洗濯、家事万端に至るまで几帳面によくやるので女手ばかりの私達には大変便利でした。特に今まで草ぼうぼうと生えるにまかせていた300平方米ばかりの庭の手入れには、年いった方の家畜人が以前は百姓の出とかで、見違えるような綺麗な庭に育て私達を満足させました。

家畜人を飼育するということは、飽くまで私達の生活の便利の為で「従順と有能」が、いわば 私好みの家畜人です。老若とか容貌容姿の美醜などは一切問いません。

足舐めとか、寝室内での奉仕とかを期待するかもしれませんが、それは女ご主人様の御慈悲で家畜人に与えられるものであって、本来賤しい飼育物である家畜人の側から願い出るものではありません。

使うだけこき使って、飽きてしまえば野犬のように捨ててしまうのも女ご主人様の意思一つで行われるのですから家畜人とは哀れなものです。でも、家畜人は繁殖が旺盛なので、いつでも補充がきくのです。いや、志望する未経験者が多くて困るくらいです。

私たちは、20代の女性ばかり3人で共同生活を営んでおりますが、それぞれ重要な職業を持っていますので、どうしても、常時3匹ぐらいの家畜人が必要なのです。

飼育する場所には、不自由しません。餌は、私たちの食べ残しで十分ですから、費用といって別にかかりません。お手伝いさんに気を使うよりも家畜人を飼育することを声を大にしてお奨めします。

  

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