告白「神酒直接授与について」

K・るみ 

 

1 マゾ男を調教することは、私の心にとっても、体にとっても嬉しくて楽しいことです。 ほとんどのマゾ男は、それぞれ違った性向をもっていながらも、足舐めから始まり、やがて舐陰とすすみ、そして行き着くところは、私の神酒を与えた。そして私はそうした行為が「女王様の奉仕」と思っていたのである。この一連のM男に対する汚辱という快楽的な行為も私が主導権を握っている間は、どうしても私の好むパターンになりがちであった。
2 だが多くのM男に接しているうちに、マゾといっても相手はやはり男性なのだから、それとはなしに哀願とかたちで奴隷の意思を表示するようになった。そうして奴隷の哀願を聞いて調教しているうちに、私は自然にマゾ男に対する責めのテクニックを覚えるようになった。例えば、私の裸のお尻を男性の顔面にピッタリと覆う ように座ると死ぬような声を出して喜ぶとか、男性をどのように縛れば、屈辱的で快感 が大きいか、鞭打ちするとき男性にとって一番辛く、そして屈辱的で、最も快感の強い個所はどこかということを知った。
3 私が最も感激をもって、マゾ男を責めている喜びを実感として感じるのは、直接、じかに神酒授与をやるときだった。しかし、なかには逢うたびに最後にこの儀式をやらないことにはすまないマゾ男がいた。その男に対しては、神酒授与という切り札を、ご褒美として、最後までじらしながら、私好みの調教をしたものだった。長い長い舐陰のセレモニーが、私にとって一番好ましいものであったが、それもマゾ男によってやり方も違い、巧拙もあった。このマゾ男は巧い、年季が入っていると感じたときもあったし、その時の私の受け入れ態勢や感受性の問題もあり、その時々によって快感も違っていた。私は、概して、舐陰までに、準備運動的にマゾ男に対して色々な責めや、拷問を積み重ね、私自身も多いに燃えることができた。
4 いつの場合でも、私は自分の快楽の為にのみ、マゾ男を責めるのが好きだ。自分勝手といえば、確かに自分勝手なのだが、それがサデイストの特権だと思っていた。神酒の直接授与といった行為も多分に精神的なものだと私は思っている。私は、男性にとって最大の屈辱的な行為を密室の中で、これからやるのだと考えただけで、私の体は最高に燃えるのだった。
5 一度、野外で神酒を飲ませたことがある。山中のハイキングコースで、私は男を裸にし、囚人のように麻縄で縛り、あちこち引きずりまわした後、最後は人影のない藪影に、マゾ男を仰向けに寝かしておいて、私はその男の顔面に向けて放尿し、マゾ男は喉をゴクゴク鳴らして飲んだ。いつも密室でやる騎乗位のチビチビ型とは違って、野外の神酒授与は豪快な開放型であった。夏のこととて、顔をビショビショに濡らし、喉をごくごく鳴らし、屈辱に真っ赤な顔をしたそのマゾ男の顔を今でも忘れることができない。

  

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